完全なる偏見で書くお局の特徴とお局の餌食になる人の特徴。
暦の上ではもう9月らしいですね。てか9月もう終わりますね。早くね?
2018年も残り1/3ですか。まじか。
お疲れ様です。いつきです。気分はまだ6月です。
1年前の今頃、ちょうど休職生活に突入したころですね。
今でもあの頃の記憶が蘇ります。フラッシュバックってやつね。結構厄介。
特に、かつての自分の時みたいに"詰められてる"人を見ると一気にあの頃にメンタルが戻るんですよね
最近、隣の部署にいるかつての自分と同じようにお局に詰められてる人に勝手に同情しています。
同情はするけど、詰められてる人が自分じゃない分、冷静に「そんなことするから詰められるんだよ」「ああいうことするから言われやすくなるんだな」ってが見えます。完全なる偏見ですけど。
備忘録的に詰められる人と詰める人の特徴を書いてみます。
※これは春日局。
◇お局の餌食になりやすい人の特徴。
◆容姿が決して良くはない
詰められてるのを見てるから容姿も劣っているように見えるのか、容姿が劣っているから詰められやすくなるのか…『鶏が先か卵が先か問題』感。
実際、数十年前の研究から、容姿が良い人と悪い人では、容姿の良い人の方が良い評価を受けやすいという論文はあるんです。しんどいよね。
※besuty is talentをGoogle Scholorで検索☆ 1974年の論文だよ☆
※ただし女性の場合は「容姿が良い=仕事ができない」と思われる傾向もあるらしいよ
潜在心理に「美人と不細工だったら美人のが優秀に決まってる!」ってのが刷り込まれているんだよね、つらい。顔の造形なんてほとんど遺伝子レベルの話だし、「生まれ落ちた時から人生決まってるってか?」って思いたくなりません?わたしはなる。
容姿で人の態度は変わっちゃうんだよ
ナンパしてくる兄ちゃんや下心満載のおじさま連中だけでなく、女性も女性の見た目に厳しい。間違いない。
『人は中身だよ』なんて嘘っぱちだからな!
◆仕事ができない
詰められてるのを見てるから仕事ができないように見えるのか、仕事ができないから詰められやすくなるのか…『鶏が先か卵が先か問題』感。again。
仕事ができる人に対して注意なんて人間できないと思うんです。
東大生に「お前勉強できねーのかよ」なんて言えるか?
部活のエースが部活内で最も発言権を持っていただろ?
実力がある人に対して、実力がその人に及ばない人は何も言えないのは世の常じゃないですか。文句があるなら仕事で結果出してからって話じゃないですか。
仕事が他人よりできれば自分に自信もつきますしね。余計なことで傷つかない。
◇お局になってしまう人の特徴。
◆お節介な人
いますよね、「貴方のためを思って」つって色々余計なお世話をしてくれる人。
わたしの為と思ってくれるならわかりやすく怒らず教えてくれませんかね?
相手の為じゃなくて自分の為だろ、何を言っているんだ。
せめて「会社の為」としてくれれば納得もするし、諦めもつくのに、なぜに変に偽善者ぶる?
でも中には本気で「相手の為」と思ってる人がいるんですよね。
◆上下関係に敏感な、最下層にはなりたくないスネ夫タイプ
このタイプが案外多いんですよね。組織のトップに立つような人でもスネ夫君は多い気がします。
組織のトップに立つスネ夫君…イメージとしては小学生のいじめに加担する担任教師。
このタイプは周りに流されるタイプだからジャイアンタイプの人を味方に付ければ攻略できます。ジャイアンタイプを味方にするの大変ですけどね。
それか出木杉くんタイプになって文句を言わせないようにする方が簡単かもしれない。
◇結局は見下せる人を選んでお局パワーを発揮しているにすぎない
はいこれ、わたしが言いたいことはまさにこれ!
結局詰められないようにするには、「貴女よりわたしは上」ってことをどこかで思わせなきゃいけないんだろうなって思います。これぞマウンティング。
相手が自分より上だと思ったら餌食にはならないんです。
窮鼠猫を噛むって言うけど、それは命の危機に瀕したときだけだからな。
日常生活を送っていて鼠が猫に勝負を挑んでいるのを見たことあるか?って話かと。
『学生時代の人間関係は社会人になったら関係ない』って言う人もいるけど、わたしはそんなことないと思うんですよね。
スクールカーストは社会人になってもまとわりつく。
まあ個人の見解なんですけど。カースト下位層の癖がついてると、詰められやすくなる気がします。負け癖と一緒なんじゃないかな。
スクールカーストの下の方で上の人達にびくびくしながら過ごしていたから、今でもカーストが上だったであろう人達を見ると特に理由は無くても苦手意識が芽生えますもん。卑屈だよね。
だから自分も「カースト上位層です」みたいな雰囲気醸し出して見た目を取り繕ってないと心が保てない時があります。卑屈だよね。
いろいろと周囲に気を遣うのしんどいから、適当にやり過ごして見て見ぬふりしてでも穏やかに過ごしたい。