豚に真珠。everyday適当に奮闘。

なんかいろいろ頑張ってます(たぶん)

こんな自分を好きでいてくれる人がいるという事実。

昨日、『誕生日を祝われるのは苦手』って話を書きましたが、それでも祝われると嬉しいものですね。

お疲れ様です、いつきです。昨日の誕生日の話はこちら。

tsukaitsuki.hatenablog.com

1年、というか人生を通してまったいらな道を歩んでいきたいタイプの人間です。

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上り坂も下り坂もいらない。水平な道を歩みたい。

山や谷があるなら、山から土砂をもってきて谷を埋めて無くしたい。

そんな感じのことを常日頃考えているので、誕生日といった年に1回しかないイレギュラーに出くわすと上手く立ち回れないんですよね。

え?いつきが人生で上手く立ち回れたことなんて1度もないってか、うるせーわ。

 

とはいえ、良いことで人から注目されたり生まれてから365*n日が経っただけで祝われたりするのって悪い気分にはならないんですよね。苦手だけど。なんでなんでしょうね、気分は悪くない。

『祝われたり、良いことで注目されたり、褒められると人は嬉しい』ってことはおそらく誰でも想像がつくし知っていることだとは思うのですが、『何故、祝われたり、良いことで注目されたり、褒められると人は嬉しくなるのか』を研究して解明した人はいるのでしょうか?

承認欲求が満たされるから?じゃあ何故承認欲求が満たされると嬉しくなるの?幸福になるの?気持ちよくなるの?

そんな屁理屈を想ったり、思わなかったりしています。まあ、思ってる。

 

誕生日って、普段連絡を取らない友人から連絡がきたり、長年会ってない友人から連絡きたりするじゃないですか。

「昨日はそれが困る」って書いたんですけど、人によってはそれが嬉しかったりするんですよね。

例えば今年のいつきの場合だと 、3年前の海外旅行で仲良くなったセブのお姉さんから毎年Happy Birthdayを言われるのはちょっと困るんだけど、高校時代のそこそこ仲良かった子から数年ぶりにお誕生日おめでとうを言われたのは嬉しかったです。

この違いって何なんでしょうね?毎年言われているか、久しぶりに言われたかの違い?

そもそもの関係性の深さの違い?これから関係が継続していくか否か?

 

とはいえ、お誕生日を祝う相手って自分が好意的に思っている相手に祝うじゃないですか。だって嫌いな人に対して「生まれてきてくれてありがとう」なんて思わないじゃないですか。そこそこ仲良くても相手に媚びを売るために お誕生日おめでとう を利用する人はいるかもしれないけど、そもそも媚びを売られるってことは自分を気に入ってほしいから媚びを売るわけで、大雑把に考えたら『その人のことを好き』ってのに分類されると思うんですよね。

つまり、誰かにお誕生日を祝われた人ってのは、その誰かから好意を抱かれてるってことなんですよね。当たり前のことだけど。

それを今回のいつきに当てはめてみると、意外な人がいつきにお誕生日おめでとうを言ってくれたんですよね。会社のBOSSとか、そこまで仲良くない同期とか6年くらい音信不通だった高校の友人とか。もちろん母親や彼氏くん、そこそこ仲良い友人たちにも祝われはしましたけど。

『この人から「お誕生日おめでとう!」を言われるとは思ってなかった』って思ってた人たちからメッセージが届くとやはり嬉しいみたいですね。

『実はこの人たちは私を好意的に見てくれていたんだ』と思えたからなんでしょうね。

自己評価が著しく低いわけでもないとは思うのですが、意外なところで他者からの自分への好意を感じると嬉しくなります。愛され慣れてないからかな?

わりと素のまま生きてきて、こんな素の自分を好意的に受け止めてくれる人がいる、それって凄いことだなって。しかも、お誕生日を祝うことでその意思表示をしてくれるなんて…。

よく言うじゃないですか『何をしても好きでいてくれる人:行為次第:何をやっても嫌う人=2:6:2』

これをまさに実感しました。ちょっと大袈裟だとは自分でも思うけど。

 

もう少し、「自分のことを祝ってくれる人なんていない」と卑屈にならずに生きてみようと思った1日でした。